白蓮洞

(びゃくれんどう)
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新潟県糸魚川市
 (全長1,060m 深さ513m 観光部分 無し)
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現在までのところ、判っている中で日本一の深さを記録している巨大鍾乳洞。

発見されたとき、入り口の石灰岩が白く花のように見えたことから白蓮と名付けられたという。
関西大学探検部の青海洞窟群調査の第11次遠征(1974年)でついに最深部まで到達している。

この洞窟は千里洞などと比べると目立たない洞口のゆえか、地元では知られていない洞窟だったようである。
他の竪穴洞に比べると、全体としては斜洞であり、そのため延長距離も長い洞窟である。
標高702mの地点に開口し、沢の水が直接流れ込む吸い込み穴である。

人がかたまっている、ロープ柵の向こう側が垂直の洞口となっている。
人がかたまっている、ロープ柵の向こう側が垂直の洞口となっている。

実は手前の崖になっている小ドリーネの底も内部につながる第二洞口なのである。

これが、白蓮洞の洞口。 足場が狭く、穴がすっぱり垂直なので、写真の撮りようがない。
これが、白蓮洞の洞口。
足場が狭く、穴がすっぱり垂直なので、写真の撮りようがない。
向こうの石灰岩の壁と手前の茂みとの間が竪穴となっている。

洞口を見に行くには人ひとりしか通れない狭い通路を行くが、実はこれは洞口のうえに掛かるブリッジ状の地形ともいえるようだ。
洞口は皆ロープ越しに怖がりながら見ているが、実は柵のない背後の急斜面はドリーネの底で洞内につながっているのだった。

洞口をのぞく足場の背後の小ドリーネは第二洞口となっている。 実際には底が岩石で詰まっているので通常には通過困難らしいが。
洞口をのぞく足場の背後の小ドリーネは第二洞口となっている。
実際には底が岩石で詰まっているので通常には通過困難らしいが。

小さいながらも、上のほうからやってくる急峻な沢が、そのまま洞内に流れ込む地形になっているので、大雨が降れば一気に大量の水が流れ込むことになる。
それによって、過去に遭難救助騒ぎとなったことがあるのだ。

上流からやってくる小さな沢が、そのまま洞内にストレートに流れ込む地形になっている。
上流からやってくる小さな沢が、そのまま洞内にストレートに流れ込む地形になっている。
人が乗っている狭い通路は、見ようによっては洞口にかかる石橋。


1976年夏、長門ケービングクラブと撮影チームが調査と記録のため入洞。
422mまで到達した後、天候悪化の連絡により翌日撤退出洞を決め275m地点の第2ホールでキャンプしたところ、翌朝に時間雨量70mmといわれる猛烈な集中豪雨に見舞われる。
地上との連絡用インターフォンのコードは切断、アタック隊は洞内で鉄砲水に襲われた。
地上部隊は地元消防と警察に救助を要請、洞内上部にいたサポート隊は無事脱出したが、アタック隊7名は安否不明のまま悪天候の中救助活動は難航。
ようやく天候が回復して全員脱出したのは増水が始まってから77時間後であった。
この遭難事件は全国の新聞・マスコミで大々的に報道され、日本中が救助を見守ることとなる。

これ以来、青海の鍾乳洞は全面入洞禁止となり、マイコミ平もまた立ち入り禁止の秘境となったのだった。

白蓮洞断面図

白蓮洞断面図

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この鍾乳洞は洞口部分は井戸のようにほぼ垂直に50mほど落ち込んで小ホールとなり、また40mほど垂直に、そのあと急峻な斜洞が続く。
深度168mから垂直オーバーハングに落ち込む「美女の滝」が最大の難関で、水温3度の滝を浴びながら50mもの垂直の上り降りを強いられる。
そのあと斜め階段状に延々と深さ500mまで降りてゆく斜洞である。
もちろん、斜めといっても単純な坂道ではなく、数mから十数mの段差を無数に乗り越え、瓦礫や落盤跡に注意しながら昇り降りしなければならない。
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